マサコさんと行くミステリースポット
ナチュラルスピリット刊 「スターピープル」2004SUMMER 第13号より

みどりの風の島

頁末
Text by Sato Masako

         

風がさそいました。やさしく、さそいました。「そっと横になって、風の中に休んでみて!」風の言うままに、風の中に休みました。風が言うままに、ゆっくり休みました。ブーゲンビリアの赤い花が「お目覚めね!」と言いました。やさしい香りです。もう風は、何も言わずに通り過ぎていきました。やさしく。

白い貝

白い貝は昔は赤かったのです。

波にもまれているうちに、ピンク色の貝になりました。

ピンク色になった貝は、はにかみながら、お嫁に行きました。

波に嫁いだピンクの貝は、波に愛され子供を沢山産みました。

ピンクの貝は、歳をとり、いつの間にか白い貝になりました。

あなたは今何色ですか。

石垣島迄の旅

今私は、原稿を書きながら、長年住みなれた横須賀を離れて、1,600キロ離れた沖縄県石垣島に移住しようと、準備しております。後二十日したら、島に出発します。この本が出される頃には、石垣島に住んでいるでしょう。

なぜに石垣島なのか、「みどりの風」が石垣島にあったからとお伝えしましょう。発端は、2004年2月20日の日に沖縄に来たことから始まりました。翌日、沖縄本島、宜野湾の沖縄コンベンションセンターで行われる、沖縄「ちゅぴこん」イベントに、参加する為に沖縄に来ました。それと、もう一つの目的は、長年沖縄のひめゆりの塔と戦没者の地に参拝に伺いたいと思っていました。沖縄は、第二次世界大戦で、ひどい戦禍を受けました。

羽田より沖縄に向かって飛び立ちました。空から見た沖縄の海は青く、さんご礁のリーフが美しいのです。那覇空港に着くとその足で、戦禍の地ひめゆりの塔に参拝いたしました。多くの女学生が、看護補助として学徒動員されました。碑の前には大きな洞穴がありました。その洞穴で多くの女学生と病院関係者、兵隊達が共に自決し戦死されました。ひめゆりの塔には、今も絶える事無く人が訪れて、献花されておりました。乙女たちの魂が安かれと祈ります。ひめゆりの塔の前の商店街や、食堂は賑わい、魂も共に楽しんでいるのでは、と思いました。すでに浄化されていることを感じました。


次に訪れたのは、今は平和の広場となりました摩文仁の丘です。太平洋戦争、沖縄戦終結五十周年を記念して建設された記念碑、平和の礎(いしじ)を建設し、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦等で亡くなられた方すべての人々の氏名が刻まれております。平和記念塔は、戦争を、二度と繰り返してはならないシンボルとして建っておりました。多くの人が平和公園に人が訪れております。しかし、私の体は全身が痛みました。あまりにも多くの人々の名前が刻まれた、平和の礎は、つらいものでした。私がお伺いしてお参りさせて頂くことは、ほんのささやかな事です。横須賀より、菜の花、菊、チューリップ、スイトピー等、優しく春らしい花を持参して来ましたので、それらの花を、献花しました。

 「多くの魂が光りとなりますように。」言葉は何もいりません。ただ祈るばかりでした。その下の洞窟には今も未だ収集されていない遺骨が多く眠っています。花々をちぎっては海に向かって投げました。強い海風が音を立てて、通り過ぎて行きました。

カミンチュ

沖縄「ちゅぴこん」は、たくさんの人が集い、成功により終了しました。私の元を尋ねてくださった方は、沖縄のユタの流れを汲む人、または神懸りになった体験を持つ人が多くありました。沖縄の個性かと思います。ユタとは沖縄・奄美諸島に古来から存在する民間の巫女・霊能者。カミンチュ、ムヌスンなどとも呼ばれます。神と対話して運勢判断したり死者の口寄せ、先祖事などの霊的相談に応じる女性である場合が多く、琉球の歴史を通じて蔑称されることが多いのでカミンチュと呼ぶ方が良いと知りました。

沖縄のユタを例にとると、巫女に対する禁止令は、十七世紀の琉球王府時代に出されています。明治から戦前までの弾圧は、以前の禁圧政策をさらに徹底化。同化政策と思想統制という時代背景から、ユタは国家的存在として、特高警察などに大量検挙されて弾圧を受けました。

戦後もユタは父系位牌継承を唱えるため、「女性蔑視を助長する前近代的存在だ」と新聞紙上で非難されました。 沖縄では元来、ユタの憑依体験「カミダーリ」を、巫女になる必要な過程として肯定し、近代化が進む中、それは「狂気」「治療すべき病気」とみられて、否定されていく 一方で、戦時中のユタが図らずも自分の抱く神を信じて国家権力に屈しなかったように、その「狂気」が閉塞した社会に風穴をあける可能性もあることが、現在の精神医学や心理学の一部で論じられ、「狂気の有用性」であると、それに伴い、ユタの評価も「野のカウンセラー」という肯定的な表現へ変化してきました。シャーマニズムに対する評価は、肯定から否定、そしてまた肯定へと、時代により絶えず揺れ動いているのです。
 沖縄の女性は、年齢に関係なく、皆チャーミングでした。気性がしっかりとしていて、耐えることの出来る、大地のような器を感じました。砂糖キビ畑が、夏の大地に青々として、広がっているような広さがあります。

沖縄のコンベンションセンターの中庭では、緑の葉っぱが可愛い花を咲かせていました。希望の黄色の花です。何かがあっても、辛い事や、悲しい事や何があっても、その中で黄色の希望の花を咲かせましょう。あなただったら、必ず希望の黄色い花を咲かせられます。黄色の花が、あなたの中に咲きました。沖縄コンベンションセンターの近代的な建物に夜になると、強い雨が降り始めました。スコールのようです
 沖縄では冷房でしたが、横須賀に帰ると暖房をかけました。北海道の新千歳空港では、雪の除雪作業で空港が再開したとニュースで知りました。日本は北から南まで、長いのでしたね。
 一週間前に沖縄に行ったのに、石垣島に呼ばれました。まさかこのように、石垣島に飛行機で飛ぶなんて思っても見ませんでした。しかし、人生とはかくも、不思議な何が起きてくるか分からないものです。流れが起きてきたら、その流れを起こすきっかけが、自分にとって、不都合な事であっても、自然の流れのまま、動くのがよいでしょう。吟遊詩人のように。疑問を感じないで、呼びかけに応じて、自分の道を選んでいきます。



    石垣島の自然

石垣島の海はもちろん美しいのですが緑の風と、鳥の声が素晴らしいと感じました。たくさんの鳥たちの鳴く声がします。花は心を癒してくれます。ハンモックに横たわると風がささやきました。ずっと遥か彼方にも聴いたことがある風のささやきです。


石垣島の自然の様子をお送りいたしたいと思います。
 砂糖キビ畑から、砂糖キビを満載した車がユッサ、ユッサと県道を走ります。砂糖キビを飛ばしながら。インドでは聖なる牛が、道を横切る時には、車も人も、止まると聞きました。砂糖キビ車は皆尊敬して、通り過ぎるのを待ちます。砂糖キビが、風でアチコチ飛んでも、通り過ぎるのを待ちます。砂糖キビを作る農家の方には、今は国が保護を加えているそうです。


島の90パーセントが農地だそうです。日本の現実は、農業を行う人が少なくなって、輸入に頼っている現実です。時代を受け継ぐ人たちは、ぜひ農業に目を向けて下さいと、思います。
花々はニッコリと笑って見送ってくれました。「又おいで」と。「又来るよ」と、花と約束をしました。

飛行機は明暗の中を光を目指して飛んでいきます。その先には必ず、良い何かがあるから光を目指します。もし、今あなたが人生の暗闇の中にいたとしても、明るい未来を目指しましょう。明るい未来を選ぶと、一見大変かもしれません。岩盤を削り、蜘蛛の巣を払い、雑草を抜き、土ならししながら進みましょう。すると、必ず暗から明へと、転換しますから。

赤い花

赤いお花は恋の花

を向いて咲くのです。

いつかあの人来るからと

南の国にいきました。

待っても、待っても、来ないから

赤いお花になりました。

赤いお花は恋の花。

リーディングする時は、相手の方が座ったと同時に、ぱっぱっと映像を見ます。ですから長い時間は要りませんが、それでは、お金を払った人が満足しませんので、ある程度の時間をかけます。映像をつなげる言葉が大切です。言葉は言霊と言いますからね。あなたは良い言霊を出していますか。南の島は雨が降っておりました。泣いている雨のように感じました。泣きながらの花は、美しい花でした。涙が一つこぼれるごとに、花は美しくなっていきます。南の花が笑うのを待ちましょう

    ハードル

今している事や、何かを物にしていく時は、小さなハードルが沢山あります。百メートルコースに、ハードルが並んでいたら、走りながら又スピードを落とさずに、走り抜けなければなりません。大きな歩幅で、スピードを落とさずに走り抜けるのは、潔さと、挫折しそうな自分自身と向かい合わなければならないでしょう。

     
石垣島の風

南の島の風はやさしく吹きます。

葉の上を通り過ぎる時、そっと「ごめんね。」をいいます。

葉は「フッフッ」と、くすぐったいので笑います。
風は又吹き、「ごめんね」を繰り返しながら、遠慮がちに吹いていきます。
おお、風よ、風よ、お前はどこから来て、どこに吹いていくのかい。また葉をくすぐりに来ておくれ。

石垣島の台風は、大変に強い風が吹くと土地の人に聞きました。昔ながらの赤がわらは、台風に持っていかれないように、どっしりと重いのです。町の新しい家はどっしりとした、高層でないビル群になっております。しかし、最近は石垣島をそれる事が多くなってきたそうです異常気象のせいでしょうか。しかし台風は忘れた頃にやってきます。石垣港は、石垣島と竹富島の間に台湾の船が停泊をして、税関事務を受けます。日本に書類上輸入して、関税を払い、それから中国に輸出する形をとるそうです。台湾と中国に、正式な国交がないからです。今こうして石垣港から、遠く竹富島を望むと貨物船が、東京湾のようにずらりと並んでいました。横須賀から見えた東京湾と何も変わらないのが不思議です。

風よ、風よ、伝えておくれ、早くひとつながりになることをね。
南の島は花が美しい季節です。

花は、可憐に風にゆれて、旅人を慰めます。花になるまで、時をかけ、花になり種になり、繰返しながら、花はまた見事に咲きました。旅人は再びおとずれるでしょう。花を見に。あなたも花を見に来てね。南の島に。


       ヤギさん 

メーメーヤギさん、おいしそう

刈りたて草は「ウメ-ウメー。」

なんて可愛いヤギさんでしょう。

あなたは緑の草をしっかり食べていますか。

雑草を見て、食べたくなったら、本当のベジタリアンです。本当に、おいしそうな雑草がありますね。自分は雑草みたいに価値がないと、思っているあなた。そんな事はありません。雑草の生命力は、とてつもなく強いです。へこたれません。そんなあなたに気がついて下さいね。

はぶ注意

はぶ注意の看板を見ました。その時は思わず笑ってしまいました。その後怖くなって、注意しながらその場を立ち去りました。場所により、いろいろの看板があります。落石注意 熊注意 猪注意 猿注意 鹿注意 その外あなたの住んでいる所では、もっと他にない注意看板があるかもしれません。注意看板があるのは、実際に注意の物が出たのでしょう。生活の中に、何か注意が出た時は、注意に意識をした方が良いのです人注意等と、なりませんように。

なんと鮮やかな花でしょう。思わず引き寄せられて、手を触れました。遠くから見ると、赤い花のように見えたのですが、実は白い可愛いのが花で、赤い部分は葉っぱなのです。目立つ赤の色で、蝶や蜂たちを引き寄せ、花粉を受粉させる為です。自然の面白さを感じます。お洒落のいろいろ、大きく見せる物、宣伝もそうです。大いに致しましょう。自信は、あなたのオーラーを広げます。色鮮やかにさせます。

石垣島のすぐ側の尖閣諸島に問題が生じたようです。台湾に近い小さな無人島です。普段はしごく平和な島でしょうに、動物や草花も、なんだかいつもと違って、おかしいな、と思うでしょう。領土問題は、先に第一歩を踏んだ日本が、明治28年、明治政府によって、日本国と定めました。無人島ですから誰が来ても分かりませんが、何事も人の領分を侵す事はいけないわけです。私たちの生活の中にも沢山あります。人を侵さず、自分も侵されずに生きましょう。助け合いの精神が残ります。

沖縄県花

木は隣に咲く草花を見て、いつもうらやましく思っておりました。しかしいつの間にか素晴らしい、大ぶりな真っ赤な花が咲きました。その名を「デイゴ」 と言います。沖縄の県花です。原産はインドです。沖縄が北限のマメ科喬木落葉樹です。3〜5月に独特の屈曲を持つ枝ぶりの樹冠いっぱいに、深紅色の燃え立つような花を咲かせます。 南国沖縄県、石垣島を象徴するのにふさわしく、観光資源として大きな効果があること、また幹材は、漆器の材料として用いられ経済的価値も高いという理由で昭和47年に県の花として制定されました。 春の街が木の赤で燃えて、美しいのでした。「デイゴ」は一物全体、花も木も役に立つのですね。あなたも一物全体何もかもお役に立とうと、決心する事で、一物全体となります。


    可愛い小鳥

名前はなんと言うのかい。

小さな小鳥よ

まん丸お目目が可愛いね。

可愛い小鳥よ

お腹が空いてないかい。

パチンと瞬きして

一瞬の間飛んでいった。

一片の物でも、袖擦りあうその縁も、一瞬の時でも、深い思い出が出来ます。一瞬の気を発するものでも、永遠の時を得ます。私たちも一瞬の時なのかも知れません。永遠の時を得ながら



   サトウキビ畑

石垣島のサトウキビ畑でのことです。お父さんもお母さんも、一生懸命になって刈り入れの時です。お父さんはすぐ休みます。働いているお母さんを見ながら、世間話をするのが大好きなのです。お母さんは働きながら、お父さんの世間話を聞くのが、大好きなのです。良い組み合わせの二人です。お互いに引っ張り合いすぎてもいけません。御互いに押し合いすぎてもいけません。丁度良いところが夫婦の関係です。夫と妻。校長と教頭。会社の社長と常務。社員と上司。まだまだ沢山ありますね。あなたはきっと良い組み合わせの関係を作っていることでしょう。



石垣島の自然の中で、あなたと共に語り合いたいのです。石垣島の海も花も風もクリスタルボールも石達も、エンゼルチューナーも音楽も山も波も、あなたを招いてくれるでしょう。是非、石垣島でお会い致しましょう。

   旅の終わりに

石垣島に渡るまで多くのストーリーがありました。今は風のように消えていきました。島の風が癒してくれました。私が石垣の島に住んだ事が、自分の人生にとって、一番のミステリーだったと思います。青い水平線の彼方から、魚たちが一緒に泳ごうとあなたを誘います。愛している君よ。覚えているよ。いつまでも。風がまた、ささやきました。

ユタについては沖縄タイムス、日本橋学館大講師塩月亮子氏より 






石垣島よりマサコさん

マサコさん

マサコさんは『みどりの風』に誘われて、2004年5月11日神奈川県横須賀市より石垣島に移り住みしました。現在、東京高輪と石垣島をベースに全国各地でクリスタルをツールとして多くの方々をより素晴らしい人生へとサポートする仕事をしています。

 
1944年 東京蒲田生まれ。 横須賀・湘南を愛し、横須賀に50数年住みました。横浜市立中学の体育の教諭、特殊教育に携わり、10数年に渡り横浜市立中学の体育・特殊教育に携わる。緘黙児教育で成果をあげました。
 
人生の中で色々な事を学び、『水晶を広めなさい』とのメッセージを受け、何時の間にか今の仕事になりました。ラジオレギュラー『マサコさんの心のフォトグラフ』で活躍。石垣島在住。ナチュラリスト&スピリチュアルリスト

読売新聞でも紹介されたヒーリングCDブック『みどりの風』、光のワークビデオ『チャクラ健康法』発売中。ナチュラルスピリト刊スターピープル『マサコさんと行くミステリースポット』連載中。絵、詩、エッセー、語り、音楽とアートなスピリュチャル活動が特色。

ヒーリング・リーディング・チャネリングの個人セッション・佐藤マサコヒーリングメソッドテーチャーズスクール・マサコさんの心と体のワークショップ主催




お問い合わせは Eメール

頁頭