音と私  自然と私


音と私


昭和19年東京蒲田で生まれ
東京大空襲で生家を焼かれ、父の田舎の静岡県御殿場小山町に疎開しました。
家を焼かれる時の焼夷弾のヒュルヒュルドッカーンという音が、赤ちゃんであった
私の記憶の中に残っています。

2歳の時に、横須賀に引っ越してきました。
畑の花を摘んで片手ににぎり、母と「あざみの歌」を教えてくれました.。
遠い記憶とし絵本のように残っています。

夕方になると、仕事から帰ってくる父を兄と、駅まで迎えに行きました。
駅前に電気屋さんがあって、ラジオから美空ひばりの「笛にふかれて、逆立ちすれば」
の歌声が流れてきて、幼い私は感動して聞き入りました。
その時のことをよく覚えております。

小学校の低学年の頃、EMクラブ(横須賀米軍将校クラブ)の
隣にあった市民会館の合唱祭に参加しました。
1小節を一人で大きな声で歌いました。*山崎小学校 4年の時大津小学校に転校

6年生の時に中村先生が歌の指導をされました。
夕焼けが教室を染める頃まで練習しました。
よい響きの中に囲まれて、声を出すのに魅力を感じました
合唱に惹かれる原点になぃました。

中学生の頃は体が弱く、学校を休みがちでした。
病院に行く事も多くラジオや本が友達でした。

高校生に入ってから演劇部に入りました。
校長先生が演劇の好きな先生で力をいれてくれました。
脚本を大きな声で読み合わせたり、練習のあとは男子生徒と女子生徒とで
コーラスをしました。ハモッテ美しかったのです。

発声の練習や台詞、メイキャップの仕方などアマチュア劇団の人が来て
指導してくれました。
声を出す事や、体を動したり演劇活動で大変元気な高校生となりました。

短大に進んだ私は合唱クラブに入りました。*日本体育大学
昼休みに練習する混声合唱の響きに充実感を味わいました。
放課後はダンス部で体を鍛えました。

横浜市の体育教師となり生徒と文化祭でダンスや合唱を
取り入れて世界を旅するミュージカルを致しました。

*松本中学校5年(体育教諭、社会福祉大学にて特殊教育の免許を取得)
*岡野中学校5年(特殊教育) その後、退職、産休補助教員で5年

結婚をして子供が産まれましたので、しばらく家に居りました。
子供が2名いまして毎晩本の読み聞かせを10年間続けました。

その時社宅住まいでしたのでコーラス部を作り練習をし指導者まねき、
合唱祭に参加するようになりました。
今もその合唱団は引き継がれて存在しております。
*指導者井森征子『レダの会』 50歳以上の混声合唱団『ローズ』の名前をつけました。

チャンスがあって横浜にある混声合唱に入り練習や公演会に参加できました。
*団伊久磨先生の指導を受けました。

その頃やりたいと思っていた、シャンソンの先生の元へたずねて、指導をうけました。
専門のヴォイストレーナーのレッスンの機会をえました。


ピアニストのNさん、土岐雄一郎さんとの出会いがあったことがよかったと思います。
人生についてもアドヴァイスをいただきました。

個人のシャンソンコンサートを何回か開く事ができました。

その頃音楽でもって慰問する『玉ねぎの会』を作って音楽活動をしている人達と
慰問演奏会しました。*リサイクル活動によって、資金をまかない良い音楽を紹介しました。

ヒーリングカウンセラーの仕事についてからは、
その方のオリジナルストーリーをその場でお話をしています。

ラジオの「心のフォトグラフ」を放送するようになってからは歌ではなく
語るようになりました。ヒーリングCDブック「みどりの風」を発売しました。

長い年月、声によって癒す仕事をしたい願いが語ることで結実したかと思います。

これからもずっと癒しの語りを続けていきたいと願っております。

それでは、またお会い致しましょう。



自然と私


子供の頃は、近所の女子高校の中庭と、
小学校の校庭が遊び場でした。
木々と話し、蓮華の花が遊び相手でした。
兄の後について歩き、田んぼのザリガニやタニシ、
水カマキリなどを捕まえて遊びました。

夏になると近くの海へと泳ぎに行きました。
貝がとれるので、バケツを持って貝を掘って帰り、
佃煮ができるようになりました。
自然はたくさんのことを教えてくれました。

冬は年のはなれた姉が、スキーへと連れて行ってくれました。
滑走する楽しみを知りました。 高い山は苦手なのですが、
尾瀬沼や県内のハイキングは友人達と行きました。

後に磯遊びで覚えた水泳は、プールで覚えた人より下手な事を知りました。
今は自然の中を無理なく、ぽこぽこと歩くのが好きになりました。

ここ8年位毎朝パートナーと海沿いや運動公園を歩いております。
運動公園で軽い体操をして、少し汗ばんだら太陽チャクラ呼吸法をして帰ります。
*運動公園 大津公園   *海沿い 馬堀海岸

それでは、またお会い致しましょう。