横須賀の安房口神社の巨石は房総半島の安房から飛んできたということと、
海上自衛隊のY氏の話で、私達は房総半島の南端の野島崎にある安房神社に、
巨石の秘密 の鍵を見つける為、Y氏の待つ房総半島に向かいました。
雲一つない青空の下、久里浜よりカーフェリーで対岸の金谷港まで行きました。
ポテンシア号で海上自衛隊館 山基地まで、早朝、Y氏を迎えに行きました。
早速、安房神社に向かいました。

途中の道は菜の花の黄色、スト ックの赤紫色、海の藍色、
空の青と鮮やかな色が描くチ ャクラを刺激します。



安房神社

安房神社はよく整備された非常に大きな神社でした。
この神社の上の宮の祭神は天照皇太神の側近、
天太玉命 ということで、横須賀の安房口神社と同じです。

その孫 の天富命(あめのとみのみこと)が神武天皇の命を受けて
四国阿 波徳島の忌部一族の一部を割いて海路大移動をして、
房 総半島の南端の阿波神社のあるところに到着しました。

上総、下総へその勢力を広げ、麻と穀(紙の原料)を作らせま した。
そして祖神天太玉命の社を建てたのが、この神社の 由来といわれております。
天富命は日本産業の総祖神と なったということです。

         
                   安房神社入り口でポテンシア号と

巨石を探す

Y氏の話によるとこの神社の裏手には過去、海軍の砲撃練習場があって、
ダミーの船に向かって砲撃していた と言います。

この神社も海軍と深い繋がりがあると言う ことで、
入り口の神社名の石柱は東郷平八郎の書を彫刻 したものでした。

Y氏の見たという目的の御神体を探しましたがどこにも見つかりませんでした。
本殿を参拝してから境内を掃き清めている神管 の一人に
そのような石があるかどうか尋ねた所、

「ここ にはありませんが、洲崎神社にあります。
本殿から道路 を隔てた反対側の海側にある
鳥居の先の海にそのような石が祀ってあります。」
と持っていた竹熊手で描いて教えて くれました。

        
         熊手で地図を書いてくれる神官とそれを見るマサコさん、Y氏

それで早速、来た道を戻るように、洲崎神社に向かい ました。


洲崎神社

洲崎神社に到着、本殿に参拝して、早速、巨石を探す ことにしました。
しかし、見つからないので近くで農作 業をしている方に聞きました。
もっと海の方だと言われ ます。
その方へ行ってみますと、
実際に、満潮の時には海の水に漬かるような所に目的の巨石を発見しました。
はるばる海を越えてきた甲斐がありました。

       


明らかにこ の付近の海岸の石の色とは違います。
海の中に沈んだ文 明のものだとの実感が湧いてきます。
辺りを見渡すとこ の石より色が黒いけれどよく似た石が転がっています。
その数五〜六個、どれも強いエネルギーを放っております。
その内の一つには安房口神社の巨石のように
大きな半球状の穴が空いておりました。

         

そういえば、千葉まで来る切っ掛けの一つとなった、
Y氏の話に出てきた巨石の正体は何だったのでしようか。
Y氏「だいぶ昔のことだったので・・・。
もしかしたら 夢で見たのかも知れません。・・・。」

このY氏、夢で予知したりする人で、夢で見たことが現実よりリアリティーがあって、
そう感じたのだと思い ます。

今回の房総行きもY氏の夢のおかげで確信を持っ てこれたことを感謝します。

             

マサコさんの リーディングを裏付ける文書発


房総半島の巨石の実地調査をしてから数日後、
図書館から借 りた大量の本のコピーの中から、
海中に没した超古代文 明の巨石であり、
安房口神社の巨石と、洲崎神社の巨石 とが、
同一種類のものであることが分かりました。

その資料とは久里浜風土記の安房口神社 の項でした。

『房州、洲崎明神社伝に昔、社前に竜宮より上りし石ニ顆 あり、
其石飛と一は三浦の、内一は鉾切りへ留りし』
というものでした。

マサコさんのりーディングを裏づけ る文書が出てきて大興奮でした。

また、房総半島においても山であったところを崩し、
破壊して、その土をほかに持っていく様子をたびたび目撃しました。
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